ナギの整理箱

日々考えたことを書きます。

久しぶりにどうしようもない恋愛もどきをした

どうしようもなかったです。

この記事はそのうち消すと思いますが、いまは一旦吐き出させてください。

 

私は精神疾患を抱えていますが、それを差し引いてもいわゆる恋愛的な意味でのメンヘラです。寂しがりやから始まって、すぐに相手に依存するし、メサイアコンプレックスを暴走させて尽くしたがります。

 

大学生の時にメンヘラな男性とお付き合いして共依存傾向が強くなったことがあります。そんな状態を続けている自分が嫌で、縛られている自分が嫌で、何ヶ月もかけて、もつれにもつれさせて別れた経験があります。

 

それからは、いわゆる依存傾向の強い、典型的なメンヘラ男性に出会うことはあまりなく暮らしてきました。

しかしそれが、久しぶりに引っこ抜いてしまい初手から感情がもつれました。メンヘラって怖いですね。

 

事の発端は1通のDMでした。私がメンヘラを暴走させているアカウントに、「親とのもやもや、婚活の話、趣味の話まで、ツイートにとても共感した。お話ししてみたい」とメッセージが来ました。

 

しばらくして、初めてスペースで話をしました。聞けば大学時代の行動範囲もとても近く、何から何まで妙に話が噛み合い、盛り上がりまくって毎日2〜3時間は話していました。それがおそらく1〜2週間続き、初めて会うことになりました。

このとき、盛り上がりまくった私は、他で進めていた婚活がおろそかになってきており、さらに、過大な期待をしたまま会いに行ってしまいました。

 

この時初めて向こうの恋愛の話を詳細に聞きました。彼は聡明でとても論理的に話すので、最初はそうは感じられなかったのですが、依存傾向の強いメンヘラという自覚があったようです。ただ、寂しさや承認欲求から依存する私とは少しタイプが違う感じでした。別れる時に「あなたと付き合ってると疲れる」と言われるのが鉄板だと話していました。また、私と同じように、相手を救おうとメサコンが発動するタイプでもあったようです。

 

「僕が傷ついているときに一緒に傷ついてくれる人が好き」

 

分かりますか?とんでもメンヘラ語録に加えたい言葉ですね。どう考えても地雷案件だと思うんですけど、わかる人にはわかると思いますが私はこういうタイプの高学歴メンヘラが大変好みです。二村ヒトシさんの著書に「心の穴」という言葉が登場しますが、これがいわゆるお互いの心の穴をほじくりあってるメンヘラの図です。

 

会う前から完全に気が動転していましたが、会ってますます気持ちが暴走した私は、このまま帰ったら悶えてしぬと思ったので、帰り際に今の気持ちを正直に全部話しました。

 

彼の回答としてはこんな感じでした。

「考え方から恋愛経験まで、あまりにも共通点が多すぎる。こんなに話せる人はそうそう出会えないからご縁を大事にしたい。『Twitterで出会ったやばい男』枠ではなくて、まずはちゃんと線引きのできる友達になりたい。」

「いまこのまま勢いで突っ込んで、傷つけてしまいたくない」

「期待させてしまって本当に申し訳ない」

 

こんな感じでぺしゃって帰路についています。書いてて少し冷静になってきました。久しぶりに引っこ抜いた高学歴メンヘラだったのであまりにも性癖に刺さってしまい気持ちをコントロールすることができていませんでした。彼のほうが割と冷静でした。

 

頭がカッとなっててあまり詳細を思い出せないのですが、彼の中でのメンヘラ論理を綺麗に言葉にして表現してくれるので、それがとても面白すぎて途中ビシビシ刺さってました。

久しぶりに恋愛魔窟で遭遇したメンヘラ。刺さったダメージがでかいのでちょっと一旦婚活や恋愛を考えるのやめたいです。どうして私ってこういう男が好きなんだろうね、書いててアホらしくなってきますね。二村さんの本読み返したほうがいいね。

久しぶりに刺激された心の穴は乾き切って涙も出ません。拗らせたアラサーの恋愛って感じで苦しいけどエモさすら感じる。

以上、愛すべきメンヘラたちの恋愛もどき劇場でした。

 

人生の困難を解く鍵

私の人生はいつだって困難だらけだと思う。

毎日死ねと言われても仏のような顔をしてにこやかに返したり、家庭内不和を見て私が何とかしなきゃと思ったり。自分の拙い能力の割にはまあまあの有名大学に入ったのに、結局今は精神科に通って働けない日々、可哀想すぎるわ私…と思えるのは今が躁状態に近しいからだ。

うつ状態のときに考えてしまうと、死にたくなる。あまり言えない話だけど、希死念慮に悩まされたことも何度もある。

 

前置きは置いといて、最近の私は、人生の困難を解くキーワードを探す旅に出ている。旅と言っても遠くには行っていない。自宅か図書館か精神科病院だ。

今の時点で3つのキーワードを見つけてみた。

1つめのキーワードは、少し前に指摘してくださった方がいらっしゃった。

「ナギちゃんは、過剰適応が強いんだね。ナギちゃんの能力のわりに、出てくるアウトプットがなんか的外れなのは、過剰適応のせいで目の前の人の気持ちを読み取り、それに合わせようとしすぎてしまうからだと思うよ。」と。つまり、周りの目を気にしすぎるあまり、自分にとっての適切な判断が下せていないということだ。

 

2つめのキーワードが、「感情の分化」というものだ。これは、YouTubeで早稲田メンタルクリニックの益田先生が言っていたものである。「好意」と「性愛」が分けられていないのではという話だ。

好意とは、本来、尊敬、信頼、安心、憧れなど、様々に分化できる。しかし、それらがなんとなく「好意.zip」とまとめられてしまい、「なんとなく好き=性愛=恋愛感情」となってしまうのではないかと考えている。これが、私が惚れっぽくて目移りしやすい正体ではないかと突き止めたのだ。

人は生まれた時、「快か不快か」という感情しか持っていないが、そこから知識や経験を経て、感情が分化していくらしい。「快」といっても、穏やかな心地よさがある一方で、ドーパミンが出ているような熱狂的な心地よさもあるといった形に分けられるように。

この話は本当に衝撃的だった。つまり私は感情の分化が不十分で、まだまだ精神的に未熟なのだと突きつけられたのだ。もちろん、世の中には未熟なうえにそれを意識しようともしない大人もいると思うが。

感情を適切に分化して、精神的な成熟をはかるためには、感情をしっかり言葉にして伝えていくことが大切らしい。自分の感情に蓋をせず、丁寧に言葉にすることを意識していきたい。

 

3つめのキーワードが、一般男性に対する誤認識だ。私は小中学生の頃、心ない男子に顔面を勝手に"品定め"され、酷評されてきた。今考えれば、「いつからお前ら審査員になられたのかしら??」って話だ。でも、それがめちゃくちゃトラウマになった。心の奥底では、男性が怖いのだ。男性はいつも品定めをしていて、その結果自分が良いと思った女しか人間扱いしない、と学んでしまったのだ。

ある程度大人になれば、容姿なんか関係ないだろう。そんなもの関係なく、一般的なマナーに従い礼節をもって接してくれるし、友達であれば普通に優しい。

だが私は、これを「特別なこと」だと考えてしまうのだ。優しくしてくれるのは、特別なこと。普通は人間扱いしてもらえない、といったあの頃の判断基準が、強烈にインプットされていて、こうして言語化するまで、なぜ自分が勘違い女なのか原因が分からなかった。

優しくされたから、人間扱いされたからといって、好きになる必要なんてないのだ。私は、無条件で優しくしてもらえる、と思って良いのだ。それが普通で良いのだ。

 

今のところ、私の人生に困難をもたらしてきた、自分の中にある特性や判断基準は上記のようなものだと思う。

昔参加した当事者会で、「このままでは人生の整合性が取れない」と発言した方がいて、なんてパワーワードだ…と思ったことがある。こういう、人から理解されない苦しい人生を歩んだからには、何かパーッとやり遂げて人から認められないと、報われねえじゃねえかという話だ。

めちゃくちゃ同意してしまったことを覚えてる。私も人生の整合性取りたい。苦しい思いをしてきたと認められたい。もうこんな苦しい思いをする若者を増やしたくない。そのために働きたい。

 

今回は以上です。

私はいつも私の価値観でいろいろ書き殴っているけれど、普通の人から見てどう見えるかたまに気になるので、良かったらコメントください。。

父親の実家に行った

久しぶりだった。1年以上ぶりだったかもしれない。

 

今回は、知りたいこともあった。叔父さんの病気のことだ。

叔父さんは、私が物心ついた時から働いてなかった。よく遊んでくれる優しいお兄さんの印象だったが、祖母によると「頭の病気」だそうだった。

大人になれば分かるが、おそらくこれは精神疾患だろう。精神疾患には多少なりとも遺伝が関わる場合もあると知ったので、叔父さんの病名だけでも知っておきたかった。

 

家に着いた時、珍しく父親は外出していて、祖母と叔父さんだけがいた。久しぶりだったから祖母と大変会話が弾んだ。その中で、「これはパパには内緒にしてあげてね」「パパは心配させたくないと思ってるだろうから、あなたには言ってないと思うけど…」と前置きして、いろいろ教えてくれたことがあった。

 

アルコール依存症エスカレートし、1日に一箱分のビールを飲む日々が続いたこと。

とある日、酒を飲みすぎて部屋で倒れ、打ち所が悪く脳内で出血を起こし、手術をしたこと。

医者から「もう断酒してください。これ以上飲んだら肝臓がんになり、命はないです」と言われたこと。

断酒はできたものの、今度は肺がんになり、入院はせず毎週病院に通っていること。

 

祖母が、手がかかって本当に困るわ、と明るく話してくれたおかげでその時は深く考え込まなかったが、時間が経ってひとつひとつの事実を飲み込むのが、重すぎてはち切れそうだった。

 

めちゃくちゃだ。

 

話の中で、叔父さんの病気についても聞くことができた。それは、統合失調症だった。

私たちには見せてなかったけど、叫んだり暴れたりと、症状が落ち着くまで20年以上費やしたらしい。何度も入院をしてお金も失ったと。近所の人には怖がられ、本当に大変だったようだ。これから先は死ぬまで薬を飲んで、寛解状態を維持していくらしい。

 

80代後半の祖母と、統合失調症の叔父さん、そして肺がんの父親。祖母が精神を病まずに毎日元気に家事をこなして明るくハキハキ話しているのが本当にすごすぎた。

あまり考えたくなかったけど、この家の未来が少し見えてしまった気がしたのだ。おそらく、父か祖母が先に亡くなる。そして、叔父さんが、障害年金で死ぬまでここで細々と暮らすのだろう。

たとえ父がいなくなっても、どんなに忙しくても、私はこの家に来ることをやめてはいけないと思った。

 

私はいつもここに来ると、お手洗いを借りる。

お手洗いまでの道中に、父親の居室がある。そこをこっそり覗いて帰るのだ。

前回は、冷蔵庫に溢れんばかりのスーパードライが入っていた。その量は病的で、思わず目を見張った。

今回は、スーパードライは一本も入ってなかった。代わりに、よくわからない薬が大量に入っていた。

 

部屋には、妹の成人式の写真、七五三の写真、それから私の大学の卒業式の写真が綺麗に飾ってあった。

 

父親に、弟の写真を見せてあげた。弟は、父の写し鏡かと思うほど、性格も容姿も父親そっくりなのだ。ただ、10年前に離婚してから、父親は一度も弟の姿を見ていない。

 

父親は、写真をズームアップして、はは、そっくりだな、とそっと笑った。

弟の仕事を教えてあげると、地図で職場の場所を探して、ああ、ここだな、と楽しそうにしていた。

 

口では言わないだろうけど、会いたいんだろうな。弟を連れてきてあげたいけど、彼も結構センチメンタルなことを知っているので、それが良いことなのか、正直分からないのだ。

 

このまま死ぬまで会うことができないんだろうか。それがお互いにとって正解なんだろうか。私にはわからない。

 

 

明日カノドラマを今更見た話

深夜に明日カノを見るのはマジで精神に良くない。そう思いながらも止まらず見まくってしまい、感想を書かずにはいられなくなってしまった。

 

※最初に釈明しておきますが、私はパパ活や夜職の経験は無いです。ただ、それをやってしまう女の子たちの精神状態にはかなり共感したので、そういうことを書いてます。

 

明日カノは主人公それぞれの闇に焦点が当たるけど、特に見ていて苦しくなったのは以下3人。

・寂しがりやの「リナ」

・居場所を求める「萌」

・依存度の強い「ゆあ」

 

リナについて。リナの特に共感したところは「寂しさを男で埋めてしまう」「でもその直後に言いようのない虚無感に襲われる」のあたり。

自分の20代前半を見てるみたいでめちゃくちゃ頭抱えた。

何故、男で埋めようとしてしまうんだろうか。

アラサーにもなった今なら、絶対やってはいけないことだと分かるのだが、若い頃はどうしてそのような走り方をしてしまうんだろうか。

さみしい。甘えたい。さみしい。そういう感情がとめどなく溢れ出てきて、自分では制御がきかないのだ。もはやそれは病的なのだ。病気なんじゃないかと思う。

「寂しさを男で埋める」をやり続けると、恋愛がバグる。寂しさを埋めたいだけなのか、将来を考えたいのか、目的も曖昧になってきて、自分でもよくわからなくなってくる。結果、よくわからないお付き合いをしては別れるを繰り返して疲弊すると思っている。

ドラマではどこまでやっていたか分からないが、リナは雄大という彼氏ができても、パパ活をやめられずに、結局別れてしまうらしい。パパ活はお金のためなんだろうなとは思うが、お金が手に入る最短ルートを見つけてしまうと、人間それをやめるのは難しくなるんだろうな。

 

萌について。萌の事例は、「あ、私がホストハマったらこうなるんだろうな」を見てるみたいだった。ホストの楓が巧みに萌の人間的な弱さに漬け込んできて、聞こえのいい甘い言葉だけをかけて、どんどん沼に引き摺り込んでいく様子は、見ていて本当にゾッとした。シェアハウスにいた時、私をホストクラブに誘ってきた女がいたが、マジで行かなくて良かったと思った。

萌が風俗をしている時の描写も、見ていて本当にキツかった。私は風俗で働いたことがないけれど、男の人が自分のことを性の道具としてしか見ていない時のあの冷たい目線は、「知っている」と思った。同じ人間とは思えなくなるし、あの目線に長時間晒されたら男の人のこと二度と信用できなくなると思う。

特にキツかったのは、萌が制服を着させられて「こんなのお母さんに見せられないね〜!!お母さんごめ〜〜ん!!!」と煽られながら動画を撮られるシーンだ。生々しくて吐き気がした。でもこれは、ただのドラマの演出じゃない、現実にあることだと何となくわかる。こういう性癖は理解に苦しむけど、それもまた男性側の闇なんだろうなと思う。そういう性癖を「処理」しているセックスワーカーの人たちの仕事は、本当にしんどいし、大変なものだと思う。脱げば稼げるとかそんな生ぬるい世界じゃないこともわかる。

 

最後に、ゆあについて。私はホストにハマったことはないけど、1人の人間にどっぷり依存してしまった時の、どうにもならなさ、苦しさが痛いほど思い出させられた。

返事が返ってこない、それを待つ1分1秒のなんとしんどいことか。依存先の相手から連絡を断たれたときの、生きている心地のしなさ…。

大人になって、これほど人生でもったいない時間はないなと思い知らされた。

 

おまけ。

あやなについて。あやなは光晴と別れるときのカミングアウトのシーンがめちゃくちゃキツかったな。「整形は努力じゃない」の言葉も突き刺さった。見た目が良かったから自分からナンパしたくせに、今さら何を言うんだろうという感じだったけど。まあ結局見た目なんだよね。

 

思いつくままにいろいろ書いてみたけど、人と感想共有したいな。少しでも感情移入しちゃったわ〜って人とはかなり気が合いそうなのだが…。

 

そんな感じで。

 

介護、無理

あんまり愚痴っぽいこと書きたくなかったけど、限界なので少し書いてみる。

 

介護無理だ。

認知症の人と接するとき、「何回言われても、初めて言われたかのように返事をする」「どんな小さなことでもやってくれたことを褒めてあげる」などの対処法があるが、とてもじゃないけど実行できない。

 

すぐに忘れることだけならまだ楽なのだ。3分に1回今日は何曜日かと聞かれて少しイライラするけどそれはまだまだ序の口で、問題は本人の元々の性格なのだ。それに認知症特有の妄想などが悪魔合体して本当に耐え難い。

 

神経質、自分勝手、見栄張り、恩着せがましい、過干渉、そういう人と同じ家で生活するのが本当にきつい。私はめったに怒ったり人のことを下げたりもしないけど実害が及びすぎて無理になってる。

 

エピソードを挙げればキリがないが、ひとつひとつは些細なことで思い返せばくだらないのだ。でも、それが毎日何件も続くと耐えられないし、こんな些細なことで怒ったり落ち込んだりして、自分の精神をすり減らしていることがアホらしくなる。

 

今日は部屋で休んでいたらまた勝手に入ってきて、「休んでるから放っておいて」と言ったら、「わざわざ来てやったのになんだそれは」と憤慨されて、頼んでもないし、私とこと何歳だと思ってる?って感じだしで、イライラが爆発したという次第だ。

私よりも弟への過干渉はさらにひどくて、弟が思い通りにならないと私の元に来て「頭がおかしくなりそう」「死んでやる!!!」と大騒ぎする。

 

毎日「今日は祖母がいるから朝から晩までどこかに逃げなきゃいけない」「この時間に用事が終わってしまうとまだ祖母が起きているから時間潰さなきゃいけない」と考えながら生活することに疲れてしまった。

 

早く専門家に丸投げしたいんだけど、ケアマネからは「本人が望まないからデイサービスの日程増やせませんね」と言われてしまい、あ、家族には寄り添ってくれないのか。。と思った。

 

あと難しいのは、実害のほとんどが本人の性格由来だと言うことだ。認知症のせいだけなら、例えば徘徊してしまうからとかなら、専門家にも任せやすいと思う。しかし、そもそもの性格のせいで困っているのだ。この辺り説明するのが難しいと思う。ジジババはみんなそんなもんですよ〜って言われて終わってしまいそうな気もする。

 

最近毎日、祖母が早くいなくなればいいのに、とまで考えるようになった。そういうふうに考えてしまう自分のことも嫌になる。でもほんとにそうなのだ。いなくなれば家族がみんな平和に暮らせるのに、と思ってしまう。

また、百歩譲って私に旦那や子供がいても会わせたくないとすら思う。

 

せめて最期は少しでも惜しんであげたいので早く何とか手を打ちたい。

そんなわけで月曜日市役所行こう。

 

意識が高いこと

久しぶりに、母と真面目に仕事の話をした。

兄妹の仕事の状況から始まり、私の近況についても報告した。

 

母からのコメント。

「あなたは大学時代、意識高くいろんなことを考えて企画して実行していたじゃない。そういうふうに自由な自分の提案を受け止めてくれるところがいいんじゃない。今の会社に勤めてから、腐ったようになってしまったと思うよ。」

 

そんなことを言われて、自分自身のことをいろいろ振り返ってみた。

 

確かに大学時代の私は意識が高かった。

なんでだろう。何者かになりたかったような、何かを成し遂げたかったような、若さゆえのそんな気持ちが渦巻いていたのだと思う。

勉強会に積極的に参加して、留学にも行って、自分で企画した勉強会を開いたこともあった。セミナーでは毎回手を挙げて発表しまくるのでみんなに顔を認識されたりもした。

でも、大学4年間を終えて振り返ったときに、私は何者にもなれなかったし、何も成し遂げられていなかった。それどころか、将来はますます分からなくなり、就職もできず、卒論の出来も最悪だった。アカデミックな世界にトラウマができるくらい厳しい指摘をたくさんされた。

あの時私は、意識が高い自分を手放した。意識だけ高くたって、何にも物に出来てないなら意味ないじゃないかと思った。自分のことを意識高い系クズだと思った。どうせクズなら、身の丈に合わない中途半端な意識の高さなんてないほうがいい。楽に生きよう。そう思っていた。

今の就職先は、そういう気分で決めたところだった。一応建前として意識が高そうな志望理由は作ったけど、正直楽したいという気持ちだった。

 

そんな気持ちで入った会社だったけど、入社直後の私は何故かまた意識が高くなり、燃えていた。会社を良くしよう、地域を良くしようと気持ちが昂り、またもや研修ではグループのリーダーを積極的に務めたり、研修の課題のために土日にいろんなところに出向いた。

でもそういうことが素直に伝わるような会社ではなかった。煩雑な事務作業を楽にしようといろいろ考えたりもしたけど、そもそも根本から変えるには関連会社も関わる大掛かりな内容になってしまったり、部署のおじさんおばさんたちはずっと同じルーティンワークに慣れきってしまっていたので、変えたくなさそうだった。

2年目のとき、初めて転職サイトに登録して、転職をしようと試みた。どんな職種が向いているのか分からなかったけど、手当たり次第挑戦した。今思えばこの時が1番パワーに溢れていて、平日バリバリ働いて、土日に勉強したり書類を作成したりしていた。

でも、自分がしっくりする条件で、やりたい、やれるかもと思える職種には出会えなかった。結局そのまま私は本社へ部署移動となり、深夜労働と本社特有のピリピリした雰囲気に飲まれ、親族の借金騒動も重なり、うつ病になった。

 

うつ病になってからの私は、母親の言う通り、腐りに腐っていた。

一度復職した時には、部署の雑用をひたすらやらされた。過去の私なら絶対嫌がりそうな職務内容だったけど、どんなくだらない雑用でも喜んで一生懸命取り組んだ。Excelシートでのコピー&ペーストをひたすら繰り返す作業。ドッジファイルに綴じられた大量の書類をひたすら破棄する作業。アルバイトの人と同じ仕事内容になったこともあった。心は無になっていたけど、全部一生懸命取り組んでいた。

この時の私は自己肯定感が死んでいたこともあって、私にはこれくらいがお似合いだと思っていた。

 

結局その後正社員らしく担当事業を任せられたりもしたけど、また休職してしまった。1回目の時よりもあっという間にキャパオーバーになってしまったのだ。休職直前、大量に届くチャットやメールを読むことができなくなり、意欲は消え失せ、何も出来なくなってしまった。

 

この時も当然落ち込んだし、もう私はダメなんだと何度も思った。

 

そこから1年半ほどの休養期間に、いろんなことを考えた。

心から好きだと思えることをやれる環境がいいのかな、とか。派遣とかで転々としながら合う仕事を探せばいいのかな、とか。

もう正社員はやりたくない、私の身の丈には合わない、私はクズだと何度も思った。

 

最近もまた、障害者雇用で就職するための勉強会を細々とやっているけど、その中で言われた言葉がある。

「ナギさんって、仕事できるんですか?」と。

この時私は、思ったのだ。

若い時の私は、意識だけ高まってしまって、目の前のことに誠実に向き合えてなかったんじゃないかな、と。

何かを成し遂げるなら、まずは目の前の仕事にとにかく誠実に向き合って、それを物にしてからがスタートなんじゃないかな、と思ったのである。

 

考えてみれば当たり前のことで、気づくのが遅すぎたのである。

 

こうして、少しずつ体調が回復してきた今の私の意識はどうなっているかと言うと、20代前半の若かった頃に比べると、身の丈に合ったちょうど良い高さに安定してきたのではないかと思っている。

私はクズだ、何の能力もない。今からできることなんてたかが知れてる。でも、こんな私でも出来る範囲で頑張って、小さなことをひとつでも成し遂げられたら、それでいいかなと思っている。

本当に小さいことでいいと思う。あまり大きなことでなくていい。

 

そもそも、もう1年以上も休んでしまって、社会不適合極まった私が、ここから復活して生き生き働くだけでも、誰かの希望になるのであれば。

 

ほどよい高さに落ち着いてきた私の意識の高さが、上手く合致する環境を掴み取れたらいいな、と思ってる。

 

今日はこんなところで。

時が止まるということ

家族にまつわるイベントが来るとどうしても考えずにはいられなくなることがたくさんあってもやもやする。

 

今年の母の日は、兄妹たちとプレゼントを買って母親に贈った。至って普通だ。

母の日用のLINEスタンプを買って使ってみようかなと思ったが、使われてる文言にもやもやしたのでやめてしまった。「産んでくれてありがとう」という文言だった。

母とはいろいろあり、一時期恨んだり苦手になったりメンタルが病む原因になったりもしたが、同時に感謝はしている。だが、「産んでくれてありがとう」と思えるほど私はこの世の中が好きではなく、死にたくなることもあるので、素直にそういう言葉が出てくる人を見ると、遠くの存在のように感じる。

ただ、最近、実家にしばらく居て母親との時間を作りたいなと思えるようになった。母親は早くに離婚してからダブルワークなどで忙しくしていて、子供の頃休みにゆっくり話したり、一緒にゆっくり過ごした時間が少なかったように思う。今さらながらそれを埋め合わせるように日々を過ごしてもいいのかな、と思った。そういう時間を過ごすことが、なんとなく自分の回復につながっている気もする。

 

父の日についても、例年通り何かプレゼントを贈りたいと思っている。今年は久しぶりに顔を見せに行きたいとも思っている。

母はエネルギッシュでいくつになっても好きなことをやって、今を楽しく過ごそうという前向きなパワーがある人だが、父はびっくりするほど真逆だ。私が社会人になって初めて1人で会いに行ったとき、顔はやけに老けていて、休みの日はテレビを見るしかやることがなくて、冷蔵庫には大量のスーパードライが入っていて、年齢の割に身体を動かすのもつらそうな姿をしていた。その後も何回か会いに行ったが、いつもそんな感じだった。初めて会いに行ったのは夕方頃だったが、帰りに真っ暗な田舎道で1人で涙が止まらなくなり、それ以来明るい時間帯に行って帰ることを決めている。

 

そんな父親の状態を見て、時が止まっているな、と思ったのだ。

父親だけでなく、父親の実家全体がそんな感じだ。変わらず生きる希望もなく酒を飲んでいそうな父。病気で働けてなくて何してるか分からない伯父さん。変わらず2人の世話をするおばあちゃん。あの家はいつ行っても時が止まったかのようで、まだ若い私には少し恐怖のようなものを感じさせた。

 

私もある意味見る人から見たら時が止まっている人間なのかなと思う。ずっとうつ病のままだし、働けていない。

でも、水面下でもがくことはやめないでいたいと思って、日々を過ごしている。

 

そんな両親を見つつ、結婚についても、したいのかしたくないのか、なぜそうなのかよく考えた方が良いなと最近考えている。

結婚は、ぼんやりと「したい」と思っている。でも、何故なのかと考えると、

・助け合えるパートナーが欲しい

・親のことを喜ばせたい

・結婚式やってみたい

・なんとなく寂しい

などの理由だと思う。

でも、まず、「助け合えるパートナーが欲しい」については、現時点で自分を助けてくれる友人先輩がたくさんいるのに、パートナーである必要あるか?と思う。あとはちゃんと手続きすれば公的制度で助けてもらうこともできる。

「パートナーなら助けてくれる」と思ってしまい、1人にのしかかってしまいそうなので、むしろ今の1人の状態のほうが健全ではないかとすら思う。

「親のことを喜ばせたい」、これは、やはり親世代は「結婚して家庭を持つことこそが幸せ」と思っていそうなので、ちゃんとそれに乗っかってあげたいという気持ちはある。1人でも全然幸せで楽しければ問題ないと思うが、どうしても一般的には1人よりも結婚している状態のほうが幸せな状態と思われがちかと思うので、私が楽しかったとしても、1人でいることで親に寂しい思いをさせるのはつらいな、とは思っている。私が結婚するとしたらこれが1番の理由になるかもしれない。

「結婚式やってみたい」については、今はソロウェディングとかあるので、来年あたりサクッとやるか?と思っている。若いうちに可愛いドレス着たい。

「なんとなく寂しい」は、私もまた「結婚して家庭を持つことこそが幸せ」という世間一般の価値観をゴリゴリに刷り込まれているので、1人でいることに負い目や寂しさは感じてしまいそうだ。

 

以上、両親の話をしつつ、結婚に関していま自分が思っていることをまとめてみた。

「結婚したいと思える相手に出会えば気持ち変わるよ!!」とか言われそうだが、私の恋愛のトライアンドエラーの話はまた別途まとめたい。

 

それから、私のことなので、結婚について考えがまとまらないのに相手のご好意に押されて断れずに結婚してしまうとかやらかしそうなので、そういう時に思い返せるようにしたい。

 

というか、結婚の話、書いててすごく悲しくなってきたのだが、自分が1番「結婚こそが幸せ」という価値観をガチガチに内面化しちゃっているのかもしれない。

両親が早くに離婚してしまったから、やっぱり穏やかな夫婦関係にはすごく憧れがあるし、漠然と1人が怖いみたいな気持ちもある。

 

仕事の話とか、性格の話とかコミュニケーションの話とか、他にもぐるぐる考えがちなことをこれから書いていきたい。

読んでもらえたら嬉しいので気軽にコメントお願いします。