ナギの整理箱

日々考えたことを書きます。

人生の困難を解く鍵

私の人生はいつだって困難だらけだと思う。

毎日死ねと言われても仏のような顔をしてにこやかに返したり、家庭内不和を見て私が何とかしなきゃと思ったり。自分の拙い能力の割にはまあまあの有名大学に入ったのに、結局今は精神科に通って働けない日々、可哀想すぎるわ私…と思えるのは今が躁状態に近しいからだ。

うつ状態のときに考えてしまうと、死にたくなる。あまり言えない話だけど、希死念慮に悩まされたことも何度もある。

 

前置きは置いといて、最近の私は、人生の困難を解くキーワードを探す旅に出ている。旅と言っても遠くには行っていない。自宅か図書館か精神科病院だ。

今の時点で3つのキーワードを見つけてみた。

1つめのキーワードは、少し前に指摘してくださった方がいらっしゃった。

「ナギちゃんは、過剰適応が強いんだね。ナギちゃんの能力のわりに、出てくるアウトプットがなんか的外れなのは、過剰適応のせいで目の前の人の気持ちを読み取り、それに合わせようとしすぎてしまうからだと思うよ。」と。つまり、周りの目を気にしすぎるあまり、自分にとっての適切な判断が下せていないということだ。

 

2つめのキーワードが、「感情の分化」というものだ。これは、YouTubeで早稲田メンタルクリニックの益田先生が言っていたものである。「好意」と「性愛」が分けられていないのではという話だ。

好意とは、本来、尊敬、信頼、安心、憧れなど、様々に分化できる。しかし、それらがなんとなく「好意.zip」とまとめられてしまい、「なんとなく好き=性愛=恋愛感情」となってしまうのではないかと考えている。これが、私が惚れっぽくて目移りしやすい正体ではないかと突き止めたのだ。

人は生まれた時、「快か不快か」という感情しか持っていないが、そこから知識や経験を経て、感情が分化していくらしい。「快」といっても、穏やかな心地よさがある一方で、ドーパミンが出ているような熱狂的な心地よさもあるといった形に分けられるように。

この話は本当に衝撃的だった。つまり私は感情の分化が不十分で、まだまだ精神的に未熟なのだと突きつけられたのだ。もちろん、世の中には未熟なうえにそれを意識しようともしない大人もいると思うが。

感情を適切に分化して、精神的な成熟をはかるためには、感情をしっかり言葉にして伝えていくことが大切らしい。自分の感情に蓋をせず、丁寧に言葉にすることを意識していきたい。

 

3つめのキーワードが、一般男性に対する誤認識だ。私は小中学生の頃、心ない男子に顔面を勝手に"品定め"され、酷評されてきた。今考えれば、「いつからお前ら審査員になられたのかしら??」って話だ。でも、それがめちゃくちゃトラウマになった。心の奥底では、男性が怖いのだ。男性はいつも品定めをしていて、その結果自分が良いと思った女しか人間扱いしない、と学んでしまったのだ。

ある程度大人になれば、容姿なんか関係ないだろう。そんなもの関係なく、一般的なマナーに従い礼節をもって接してくれるし、友達であれば普通に優しい。

だが私は、これを「特別なこと」だと考えてしまうのだ。優しくしてくれるのは、特別なこと。普通は人間扱いしてもらえない、といったあの頃の判断基準が、強烈にインプットされていて、こうして言語化するまで、なぜ自分が勘違い女なのか原因が分からなかった。

優しくされたから、人間扱いされたからといって、好きになる必要なんてないのだ。私は、無条件で優しくしてもらえる、と思って良いのだ。それが普通で良いのだ。

 

今のところ、私の人生に困難をもたらしてきた、自分の中にある特性や判断基準は上記のようなものだと思う。

昔参加した当事者会で、「このままでは人生の整合性が取れない」と発言した方がいて、なんてパワーワードだ…と思ったことがある。こういう、人から理解されない苦しい人生を歩んだからには、何かパーッとやり遂げて人から認められないと、報われねえじゃねえかという話だ。

めちゃくちゃ同意してしまったことを覚えてる。私も人生の整合性取りたい。苦しい思いをしてきたと認められたい。もうこんな苦しい思いをする若者を増やしたくない。そのために働きたい。

 

今回は以上です。

私はいつも私の価値観でいろいろ書き殴っているけれど、普通の人から見てどう見えるかたまに気になるので、良かったらコメントください。。